二〇〇六年二月二十五日
榎本さんからみかえりの松伐採は二十七日と知らされたその夜、みかへりの松の根本に立って、私は梢を仰いだ。
老化して剥落した厚い表皮を踏みつけるのも気の毒な思いであった。
抱えると大きかった。
悲しくも思えたが、やはり三百年を生きた存在感は堂々たるものであった。
梢に絶え々々に残る枯葉破は、侘しい限りであった。
明後日は伐り倒されて姿を消す。
この目に焼きつけた姿を、家に戻ってすぐに絵を描いた。夜中の十二時半近くであった。
素材を残すことにい一縷の望みを賭けた二月二十六日(土)の夜が明けた。
九時になるのを待って、所官の国土交通省大宮国道事務所の熊谷国道出張所に電話を入れた。
あいにくの土曜日で、留守居の係員のみであったが、事情と希望を伝えた。
暫くしてから所長さんから電話があり
「樹木医に診断では、七〇%が腐食し空洞となっており、いつ倒木しても不思議はない、危険な状態にあり、国防省としては伐採・焼却と云う事に決定しているのでこれを変更する事は不可能」
との強い回答があった。万事窮した。
(二月二十六日)
「みかえりの松」リアルドキュメントTOPへ戻るへクリック