みかえりの松ミステリー
昔、中仙道の深谷宿は遊女の町として名を馳せ、宿に泊まった江戸の旅人などが、一夜限りの思い出を名残惜しそうに別れを惜しみ、振り返ったら松の木があったという逸話から「みかえりの松」という名前がつけられたそうです。
そして樹齢325年の大樹は、環境の影響もあったかもしれません。害虫に侵され枯れが進行し回復の見込みがなく、さらに幹が空洞化し倒木の危険性が出てきたということで、平成18年2月28日午前11時30分に伐採となりました。
(石井長慶先生記録)
これが定説と言われています。
しかし、はたしてこの定説は本当だろうか?
「深谷ねぎネット」では独自の取材を重ねるうちに、ある疑問点に達した。
一般市民には告知を3ヶ月前という短い期間で伐採するという結果のみの告知を行い、なぜか1ヶ月早い2ヶ月目で事象を急ぐように伐採。
石井先生にいたっては「みかえりの松」のすぐ近くに住んでいるにもかかわらず、伐採予定日の2日前にはじめて決定事項を知ったそうだ。
深谷市のシンボルという圧倒的な存在感を放つ深谷市の指定文化財の一端を担う松の伐採は、あまりにも異例で住民の意見無視とも捕らえかねない腑に落ちない伐採であったのである。
この伐採を支持し画策た人物は誰か?
そして市民の抗議も届かず、後世に「みかえりの松」を残そうとしない伐採行動は、何も残さないかのような焼却という決定を深谷市がおこした。
(※最終的には住民の声が届いた形になり一部が後世のために残された。)
複雑な事情が絡み合っているというが、取材を進める上で、府に落ちないところが出てくる「みかえりの松ミステリー」とでも言うのだろうか。
ちなみに、「みかえりの松」が生えていた土地は国土交通省のもので、当時は第3時小泉内閣、伐採は当時の大臣が判を押したといわれるが・・。 調べてみると当時の大臣は公明党の北側一雄議員となっている。
※写真は石井長慶先生が伐採二日前にその姿を絵に残そうと思い描かれたものです。