それから九日が経って、三月九日、私と家内が立ち会って製材した。
三本繋いだ総丈は十三米。
最先端の直径は、三十糎。
最下部の直径は九十糎。
最上部は、昭和三十三〜四年頃、落雷により裂け折れ、焦げて真黒になっていた。
根本に近い部分から輪切りにし、腐食した部分をだんだんに切り捨て償却に回し、使えそうな部分を製材した。
切り株の回りの土を掘り除き、厚さ十五糎程の輪切り板を取り、年輪を調べたところ、樹齢は三百二十五年であった。
この円板は、今、深谷市立図書館のホールに展示されている。
結局、二米強の半丸太一本と、十二枚の板に伐採し、自然乾燥することにした。
平成十八年九月、製材から六ヶ月。
板が乾燥したので引き取り、丈三米、巾五十糎、厚十糎の板は、私が記念物として「中山道・深谷宿」と刻書することになった。
長三米十糎、巾三十糎は「埼玉県立深谷第一高等学校」の銘板。
長二米十糎・巾四十糎は「松籟文門」の文言を、いずれも私が刻書し、深谷第一高等学校の創立百周年記念物とした。
残った素材でコースターを作り、記念品として一般市民に抽選で領不したそうである。
「中山道深谷宿」は、平成十八年十二月二十三日完裁報告書と共に深谷市に引き渡した。
樹齢三百二十五年の年輪を、つぶさに数え、その素材で諸々の記念物を書刻する・・・・と云う、千載一遇の縁(えにし)に恵まれた唯・一人の人間が、私であったことに、深い感謝と感動の念を押さえることは出来なかった。
ノミを入れた時の素直な切れ味。
爽やかな私の薫香。
私は生涯忘れることはないであろう。
平成二十年九月五日 記 長慶
七十五才
追記
平成二十年九月一日 年輪(樹齢)の測定について私の調べた結果を報告し意見を仰いだ。
埼玉県森林総合研修センター室長 大沢薫先生から、専門機関の調査もこれと全く同様の手法に依るので、三百二十五年の測定樹齢は信ずるに値するとの見解を得た。
このことは九月三日、市教委にも報告した。